
朝から電車に乗り
本部とやらへ慣れない事務仕事の研修に・・・
吊り皮を持って立った目の前の広告を読んでいました。
(画像は「神戸女学院大学Twitter」よりお借りしています)
23歳
労働は、時間か。
長く働くほど偉いのか。
成果をだすための
仕事になっているか。
はぁ~~、すごいなぁ
23歳でこんなこと考えているのか。。。
私もなんやかやいって15年にもなってるけど
どうなんだろうな・・・
あんまり向いてない、気が重いふうにだんだん
なってるしなぁ・・・(仕事)
労働もだけど、「夫婦は、時間か。」みたいな
感じだよなぁ・・・
なんて思いながらその横の方を見てみると
43歳
変化を恐れるか、歓迎するか。
年齢を重ねることは、保守的になることじゃない。
十年先が想像できない時代。
いま安定しているように見える選択肢は、
ほんとうに安定していると断言できるだろうか。
とても力強い言葉。
年齢を重ねることは、保守的になることだと
若い頃は思っていた。
結婚して仕事をやめるのはほぼ当たり前の世代。
当たり前のように、もう年頃だと結婚し、
当たり前のように仕事をやめて
当たり前のように子供を作り
当たり前のようにお母さんをし・・・
当たり前のように歳をとって
当たり前のようにそれなりの夫婦になり
当たり前のように隠居してのんびりと
なんか女性はこんな風に生きるのが
当たり前=幸せみたいな
何に刷り込まれたんだろうか、そんなシナリオ。
いや、もちろんそれで心から幸せな人はいいんです。
全然。
でも、そんな風に保守的?には生きてきたかもしれないけど、
なんだろう、なんか
なんだったのかなぁ・・・
私にとっては「保守的」になることは
「諦める」ことで、、
完全に諦めるのは少し先にすることにした。
確かに
安定ってなんだろう。
今諦めれば老後はそれなりに
安定はしているのかもしれないけど
それは見せかけだ。
十年先、想像はできないけど
心が伴っていないってのはわかる。
そんなのいやじゃないですか。
変化は恐いけど
歓迎しよう。
不安でも進むのだ。
今の歳だからこそ。